「おはよう」
「おはよーっす」
いつもと変わらない日常。
いつもと変わらない時間。
昨日と何も変わらないはずなのに。
幸村はぎこちなく廊下を歩いていた。
「幸村、おはよう」
「うわぁ!?」
後ろから掛けられた声と共に、ポンと肩を叩かれて幸村は大いに驚いた。
「慶次殿!」
「え、何…、どうしてそんなに驚いてるんだよ」
びくりと身体を引きつらせ、怖いものでも見たかのように表情を変える幸村に、怪訝な顔をして見せる慶次。
ただ挨拶をしただけなのに、この驚きようにびっくりする。
「あ、いや、すまぬ。何でもござらん。少し驚いただけでござる」
わたわたと手を振りながら、弁解する幸村。
緊張して考え事ばかりしていたせいで、掛けられた声にひどく驚いてしまった。
平常心を保とうと思ったのに。
昨日のことや、政宗のことを思うだけで、気も漫ろになっていたらしい。
「そう? ならいいんだけど」
笑顔を作って見せる幸村に、慶次は首を傾げながらも笑顔で返した。
政宗はまだ来ていないだろう。
どちらかというと、政宗は時間ギリギリに登校してくる。
来なければ2限目から来るか、あるいは休んでしまうか。
成績優秀な政宗にとって、ある程度出席日数が足りていれば、文句を言う教諭も多くはなかった。
今日は来られるだろうか。
幸村はいつも早めに登校するので、後から登校してくる政宗を待つ形となる。
教室が近付くにつれ、ドキドキとまた鼓動が速くなった。
昨日から暴れっぱなしの心臓は、ここ数カ月分の力を先に使っているようだと思うほど、休まることがなかった。
「おはようさん」
「おはようござりまする」
教室に着くと、やはり政宗は来ていなかった。
既に寛いだ格好をしている元親に、朝の挨拶を返す幸村。
政宗の姿がないことに、ホッと息を吐く幸村だったが、その反面待つだろうことに、席についてもそわそわと居心地が悪かった。
「どうしたのだ、真田」
いつもは口数の少ない切れ長の瞳が、幸村に視線を向けて来た。
「毛利殿?」
「さっきからそわそわと。どうしたのだ」
「い、いや、別に何もござらん」
人のことなど興味のない毛利元就にそう言われるとは、余程自分は挙動不審なのかもしれない。
平然と装うとしていたが、それが返っておかしなものに見えるらしい。
「ふん、いつもうるさい貴様が、今日は妙に静かだと雨でも降るかもしれんな」
「石田殿まで……」
幸村の斜め前に座る石田三成も、目を細めて幸村に言葉を投げた。
皮肉をオブラートに包みもせず、ストレートに言ってくるあたり、三成らしいと思った。
自分では普通に振る舞っていると思ったが、存外静からしくそれが周りには奇妙に見えるのか。
「何かあったのかい?」
慶次が心配そうに聞いてくる。
「う……」
だが昨日のことをそう口安くぺらぺらと話していいものか分らず、それよりも佐助にすら告げられなかったことを、
クラスメイトとして仲のいいと言える慶次にも話すことは躊躇われた。
政宗への気持ちすら、誰にも話していないのだ。
「あ、もしかして恋したとか?」
「なっ…!?」
慶次の言葉に、思わず勢いよく顔を上げた。
ドキ、驚きのあまり跳ねる鼓動。
そのとき。
「あー…だりぃ」
ガラガラ、とドアを開ける音と共に響いた声に、幸村はびくりと身体を跳ねさせた。
ガタタっ… それと共に、動いた椅子から音が出てそれにまたドキッとしてしまう。
「真田? 何騒いでんだ」
「ま、政宗殿……!」
幸村の行動に、眠たそうな左目を擦った政宗が、悠長に話掛けて来た。
ドキン! と、一気に鼓動が跳ね上がる。
昨日までこんな日常のやり取りなどでは、狼狽することなどなかったのに。
政宗の顔をしっかりと目に映してしまい、ますます早鐘のように鳴る心臓。
もっと平然とするつもりだったのに。
このようなことでは、意識していることがバレバレになってしまう。
抑えようとと思えば思うほどに紅くなりそうな頬を、強く引っ叩きたい気持ちになった。
「……ったく、coolじゃねぇな」
どさ、と自分の机に鞄を投げるようにして置いた政宗が、やれやれといったように溜息をついた。
「うわっ…!」
そして、目を泳がせる幸村の腕をぐいっと引っ張り、政宗の元へと引き寄せられる。
体勢を整える間もなく引っ張られて踏鞴を踏みそうになったが、政宗の強い腕の力にそのまま横から抱きしめられる形となった。
「えぇっ!?」
政宗の突飛な行動に、教室の中が俄かに騒々しくなった。
何事かと、クラスメイトの面々が視線を政宗と幸村に向ける。
お馴染みの面子も、目を丸くして二人を見遣った。
「まままま政宗殿!?」
更に身体を入れ替えられて、後ろから羽交い締めのような形で抱きしめられた。
何が起こったか分らないのは、幸村とて同じ。
背中から政宗の体温と存在を直に感じ、目が回りそうになった。
なぜ斯様に俺を…!
混乱と驚きが幸村を襲う。
ふわりと香った政宗の匂いにくらくらと思考を狂わされそうになりながら。
「政宗、何してんの……?」
ざわざわとした声の中に、慶次の場違いな質問が上がった。
「Ah? 何って見りゃ分かんだろ」
ふん、と鼻を鳴らして馬鹿にしたように言う政宗。
政宗に後ろから抱きしめられたまま、幸村は固まることしか出来ない。
一体何が起こっているのか。
状況についていけない。
「まさか、お前ら……」
元親があんぐりと開いた口を漸く動かした。
後ろにいる政宗の表情は見えない。
だがその表情はなぜか手に取るように分かった。
自信と余裕のあるいつもの声色に、ドキドキと鼓動は胸を叩き続ける。
「付き合うことにした」
教室のみならず、廊下を歩いていた生徒からすら、どよめきが起こる。
幸村の顔が、これ以上ないくらいに紅く染まった。
(中略)
「なぜ今頃……」
それはポタポタと何粒も溢れだし、すぐに顎を伝い落ちて制服のブレザーに染みを作った。
今まで泣けなかった分がここにきて、どっとあふれ出したとでも言うのか。
この涙が何もかもを流してくれればいいのに。
そんな陳腐なことを思いながら、幸村は泣くことをやめなかった。
と、その染みが突然いくつも形を織りなした。
それはどんどんとブレザーを暗く濡らし、制服を重たくさせる。
「雨……?」
見上げると、その途端に雨粒が瞳の中に入った。思わず目を閉じる。ざああ、と急に降り出した雨。
いつの間にか茜空は、ところどころに紅を残しながらも、曇天に覆い尽くされていた。
尚も幸村の瞳から流れ落ちる涙。それと同じように、降り出した雨が雨足を強くして、叩くように幸村を襲う。
「どこか雨宿り出来る場所は……」
視線を向けた先に、学校の門が見えた。そこに行くまでに家々があったが、軒先を借りられるようなところはなかった。
やや逡巡したが、幸村は肩を落として学校を目指すことにした。
ちょうど制服も着ている。この時間であればもうほとんど学校に残っていることはないだろう。
幸村はふらふらとした足取りのままに、校門を潜り玄関へと歩を進める。
制服はびっしょりと濡れ、重たくなっていた。秋雨の誘う寒さを感じ、靴を履き替えながらブレザーを脱ぐ。
どうせだったら、他に行く宛てもない。教室で雨が止むのを待とう。この強い雨足ならば、そうすぐには止まないだろう。
立ってここで待っている体力も気力もなくて。濡れた身体のまま、幸村が廊下を歩き始めたところだった。
「真田……?」
ドクン!
振り向かないでも解った。
掛けられたその声に、幸村は心臓が止まってしまうかと思った。
「政宗殿……!」
唇がカタカタと震える。
どうしてこんな時間に、政宗がいるというのだろう。
部活も委員会も入っていない彼が、放課後学校に残っていることなど、特別なことがない限りないはずだ。
「What's happen? ……! アンタ―――」
こんなときになんとタイミングの悪い……!
幸村を見た政宗の表情が俄かに変った。頬を伝うのは雨筋ばかりではなかったのだ。思うままに泣いていたので目は腫れぼったく、泣いていることが容易に分かったらしい。
「真田っ!?」
動かなかった脚を、必死に叱咤して走り出す。
最悪なところを見られてしまった。どうしてここに政宗がいる。
一番会いたくなかった人物に、一番見られたくなかった表情を見られるなどと。
「待て! どこ行きやがる!」
幸村のただならない雰囲気を察したのか、政宗が真剣な表情で追いかけてくる。
学校の外に出れば良かったのだが、上靴だということを律義に意識して、廊下を抜けそのまま校舎に入ってしまった。
逃げるところなど限られている。
思ってはいても、動転してしまい、どこへ向かっていいか分らずただ走る。
「追いかけるな……!」
「アンタが逃げるからだろ!」
雨でずぶ濡れに濡れた制服は想像以上に重く、思うように走れない。
どんどんと近付いてくる政宗の足音。
運動神経のいい政宗の脚に、己が敵うはずもなく……
「真田!!」
逃げ込んだ教室で、まんまと追いつめられてしまった。
ハァハァと上がる息。政宗も同じように肩で息をしている。
じりじりと距離を詰められ、政宗の影が幸村に重なる。
隙をついてすり抜けようとしたが、もたついてしまい、腕を取られた。
「離して下されっ……」
掴まれた腕を振り払おうとするが、それ以上の力で握り込まれて、ギリ、と筋肉が軋んだ。
「アンタが逃げるからだろ」
「……逃げぬ。そなたが追いかけてくるゆえ……」
「いや、最近アンタ、俺を避けてばかりだっただろ」
包み隠しもせず、政宗が単刀直入に問うてくる。
あからさまに言われ、真っ直ぐ向けられる言葉に、幸村は呼吸をのんだ。
「違うか」
それは問いではなく、確認。
後ろに後ずさろうとすると、背中に壁が当たった。
ドン、とぶつかる背中。
逃げ場がない。
政宗から逃げることが出来ない。
「それ、は」
確かにあれから政宗のことを避けていた。
皆でいるときに不審がられることが嫌で、努めて明るく振る舞っているつもりだったが、いつも心苦しかった。
どれだけ好きとか愛しているとか叫んでも、決して届かないこの想い。
いつまで経っても消えない恋情。
そんなものを抱えたまま、平常心を保つことなど、幸村には出来なかった。
ただ表上は何事もなく振る舞うことが精一杯。
二人きりになっても同じような態度をとることなど、到底出来ないと思った。
だから避けていたのだ。
自分からメールを送ることもぴたりと止めてしまった。
政宗から時折来るメールもすぐに返事をすることが出来ず、あれだけ液晶画面に映る政宗の名を見て歓喜に溢れていた気持ちも、
胸を締めつけるものでしかなくなった。
返信を打つ指が震える。
ただ簡素に文字を打てばいいのに、政宗の名を瞳映す度に、息をするのさえままならない衝動にかられることもあったのだ。
辛い。苦しい。切ない。
恋がこんなにも苦しいなどと、かつて想像出来ただろうか。
「………る」
「え?」
「何ゆえそんなことが言えるのでござる!!」
胸の中を熱く苦しく暴れるもの。
目頭が熱くなり、涙がボタボタと零れ落ちた。
「それがしの気持ちも知らず、なぜそのような口をきけるのでござるかっ…!」
現代パロ。高一設定です。 両想いと思いきや…? ここには掲載していませんが、佐幸要素もあり。